災異説におけるコロナ論 第十六話
さて、今回の川中島が指摘した、金尅木の関係性である。
よく、陰陽道物で、五芒星という星型の形を見ることがあると思う。
あれは、五行論においては、上記の五行同士の関係性の相剋を表している。
この五行内の関係性には、二種類あって、相生と相剋の2つが存在する。
相生は、親と子のように、文字通り、お互いの関係から生まれる順調な関係で。
対して、相剋は、敵対して潰す関係となる。
上図をご覧頂きたい。
→の向きで、外の円周と内側の五芒星の、相生と相剋の関係があることがわかるであろう。
円周する外側の流れが、相生であり、木→火→土→金→水→木と、順調に流れていく関係である。
対して、内側の流れが、五芒星の流れが、相剋であり、木→土→水→火→金→木と、傷つけ合う異常なエラーの関係である。
そして、金から木の尅する関係というのは、本来、木→火→土という相生の自然なルートが遮断され、金と木の関係が相剋の状態で衝突している状態、金が木を尅す(殺そうとしている)ということである。
とは言え、厳密に言えば、異常な状態というのは語弊がある。強いて言えば、自然的なデフォルト状態に比べて人為的と言った方が良いかも知れない。
金尅木も、木火土金水のメタファー(象徴)で言えば、金属の斧が木を切り倒し、木材にすると言う形である。ハサミが花を切り取り、鎌が稲を刈り取る形象でもある。人類の文明は自然を開拓し開発し資源にしていくことで発展しているのである。
さて、五行はそれぞれ人間の高次な精神である、仁義礼智信の五常に対応することは、以前に述べた。
金は義で、木は仁である。この尅の関係を、五常で言い換えれば、金の正義が、木の仁愛(慈悲)を殺す関係となる。
文字通り、無慈悲な関係である。もっと言えば、無慈悲・残虐と言う概念を、表しているといえる。
逆に言えば、相生相剋合わせて10パターンしか無い五行の体系に、これが入っているということは、無慈悲残虐とは、普遍的な概念であることがわかる。
そもそも、人間は生存のために、他生物どころか、同種の人類ですら殺す生物である。
およそ生きている限り、社会の中で、倫理規範の道徳のため、守るべき物のため、悪を撃ち、正義を守るために戦わなければならない。
だが、どんなに言い繕っても、それは敵という他の生物を殺すことでもある。
あらゆる宗教は、殺すなかれという教えを説く。
それにも関わらず、現実問題として、人は人を裁き、公的に刑罰や戦争で殺すのである。
その根底には、己の生存のため、他生物を殺して食って生き延びるという業がある。
ここに、人間という存在の矛盾がある。
文明を発達させ、社会道徳を発展させていけば行くほど、この矛盾は深刻化する。
なぜなら、文明が発達すれば、所属する集団が巨大化し、必然的に「敵」「悪」の規模も比例して巨大化するからである。先の大戦では人類史上屈指の死者数を叩き出した。次の大戦では億を超えるであろう。
21世紀の現代であっても、平時と有事(戦時)では、求められる道徳が違う。
平時で人を一人殺せば殺人犯であるが、戦時で百万人殺せば英雄である。
何も国同士の戦争だけではない。資本主義という別カテゴリの、経済「戦争」でも、グローバルに企業間同士で殺し合いをしているのである。
それどころか、企業内、果ては家庭内ですら、規模の大小に関わらず、全体の利益のために不要な悪を討つ業を持つのが人間である。
どんなに繕ったところで、禁忌の殺しを回避しても、無力化する、追放するなどの、非道な罰を打てなければ、組織は成り立たない。
業績が悪いのに、リストラをしなければ、企業全体が潰れてしまう。
老人を山に捨て、赤子を水に漬けなくては、家が全滅してしまう。
正義のために、人は他者を殺すのである。
五行の義も、基本、正義のために剣(金属)を取って、無慈悲に敵を討つ象形である。順調な相生ルートで行っても、金から水は屍山血河の象意である。
しかし、何事もバランスというものがある。
正義という大義名分が暴走すれば、無用な殺戮を巻き起こし、残虐な風評はいらぬ敵を作り、国家予算を食い潰し、個人と国家を滅ぼすに至る。
大日本帝国を例に挙げるまでもなく、人類の歴史である。
国家公認の暴力を有する警察が、厳格な手続き無しで逮捕・監禁、銃を発砲するマーダーライセンス(殺しの免状)を持ち、取り調べに拷問を日常的に駆使するような国は、少なくとも21世紀には批判は免れない。
何事もTPO(時と場所と場合)のバランスである。
五行論も然り。
金の正義も、しょせんは周りの環境とのバランスである。イスラム文化圏で泥棒の手を切断するのは正義でも、日本で行ったら問題行為である。残虐さの閾値、許容値も時代や国によって異なる。
今回のコロナ騒ぎのように、金と木の相剋エラーが発生しているということは、このバランスが狂ったことを意味する。
発生源の中共が、国家レベルで、災異説的に、21世紀の地球の人類の文明レベルで、このエラー状態になっていることを示している。
中共の、未熟な国家秩序と言う大義の元の、少数民族を百万人単位で虐殺し、強制収容所に入れている蛮行、21世紀のファシズム国家としての矛盾が、五行の金と木の相剋エラーになっていると見るのである。
「中共の仁を損なう金尅のエラーが、木の象意の風邪や風説・風聞の醜聞になり、かつ、金気が過剰になり、五臓の該当する肺を痛めているため、肺の気管支の疫病(コロナ)ということになります」
「然り」
どうやら、想定した解答に納得してくれたようだ。
ホッとする川中島に、春日が更に畳み掛けた。
「して、それを解決する陰陽は?」
「え?」
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災異説におけるコロナ論 まとめ
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災異説におけるコロナ論 第十五話
五行論は、世界の全てを、分類整理する古代思想である。
そして、その分類法は、別に五つでなくても良い。
例えば、八卦のシステムなら8パターンでもいいし、易ではさらにそれを重ね合わせて、8×8の64パターンの卦を構築する。ぶっちゃけ、分類数は、いくつでもいいのである。
西洋やインドでは、五行ではなく、地水火風の四元素に分類していた。
極限すれば、陰陽の二元論でもいいのである。
無論、分類する数が少ないほど、抽象的になり曖昧になる。世界の人類を分類する時、日本人という括りはそれなりにその人間の特徴を分類出来るが、それでもなお個人の人格を規定するには、もっと細かいレイヤの分類が必要であろう。
要するに、この複雑精緻な「世界」「宇宙」を、有限の数に閉じ込め、認識するという思想である。
世界を全て内包してしまうがために、当然、そのカテゴライズの対象には、人間も含まれる。
人間の思考や感情、行動パターンも全て含まれる。
単純な物理的な区分ではない。
本当に「全て」を内包させてしまうのだ。
そして、人間の道徳倫理という高次の情動も、恋愛をドーパミンの仕業と揶揄する雅の無い唯脳論者の如く、木火土金水の五行の物理的な五パターンに分類してしまうのである。
その意味では、古代思想のこれらの思想は、唯物論でもある。
※旧ソ連の唯物弁証法を見ると、陰陽論に極めて近い。
その、五行分類の、徳目(道徳)が、日本人なら誰でも聞いたことがあるであろう、仁義礼智信の五つの文字である。
特に仁義という言葉は、日本のマフィアであるヤクザが使う用語として、日本人にはお馴染みである。
本来は、仁義だけでなく、仁義礼智信の五パターンであるが・・・。
仁義礼智信忠孝悌の八パターンも、日本では里見八犬伝などで有名である。
ちなみに、日本では元ネタから引っ張ってくる時に、省略されるということはよくある話である。
孫子から引用した武田軍の風林火山の四文字は誰でも知っているが、孫子の元ネタは四文字ではなく、本来は六文字である。
元ネタが冗長なので、全部引っ張ってくるのが、面倒だからと言った理由である。
木は、五行唯一の生物(植物)である。
季節は、春に該当し、冬の死滅した状態から芽吹く、万物を活かす生命力であるがゆえに、仁(慈悲)の徳目を持つ。
火は、夏であり、炎上する様を表す。
火が、天に上昇する性質や、光輝く照らす意味から、集団の上位の存在や身分やリーダーを象徴し、その結果、身分を表す礼の徳目を持つ。伝統的な情報では無いが、川中島は、感謝の感情も火ではないかと推測している。
土は、季節の替わり目の土用で、中央を表す。
土が堆積する性質と、万象を産み出しその上に載せる大地の性質から、人間の道徳の中で一番中心である、信(信用)の徳目を持つ。例えば、現代社会の中心である資本主義において、通貨が信用で成り立っていることを見ればその重要性が理解出来るであろう。
金は、収穫の秋である。
刈り入れの鎌の金属は、そのまま鋭利な武器となる。
武器は軍事力となり、暴力であり武力である。
自分の義(正義、大義、義侠心)の徳目を持つ。
水は、あらゆるものが死滅する冬を表す。
その性質上、形を持たず、あらゆるところに広がり下に浸透する。
決して留まらず柔軟で、自由で平等である。
世間が広がれば、それは固定化した井の中の蛙から、違う世界の大海を知ることが出来る。
それは、一切が死滅し、あらゆる束縛から離れた境地、死そのものである。
よって、智の徳目を持つ。
もともと、災異説は、為政者の徳目が薄れると、天が警告を出し、それでも為政者が悔い改めなければ、五行がエラーを起こし、その結果、天災地災人災が起き、怪しい怪異が起きる、という思想であった。
当然、五行的な意味での、徳目のエラーが、一番に関係有るのは言うまでもない。
早い話が、五行の倫理道徳である、仁義礼智信の五常こそが、一番の核である。
いわば、災異説という今回の話で、一番大事な箇所であり、それを忘れていた川中島に、春日が激怒するのは当然である。
まさに枝葉末節に捕らわれて、根本を忘れていたと言われても仕方がない。
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災異説におけるコロナ論 第十四話
明らかに、春日はご機嫌斜めである。
何か、お気に召さない返答だったようだ。川中島が、何かまずったかな?と不安になるも、説明を続ける。
「もちろん、金と木は相剋の象徴として、木材を金属で切り倒し加工する意味に取れます。中共以前から中国文明は、木を切りすぎて、自業自得で砂漠化しています。これも、自然破壊による間接的な人体への影響、今回で言えば、免疫低下として、木行の風、つまり空気感染の一因ともなっていると思われます」
「貴様は今まで何を聞いていた?」
さらに、機嫌が悪くなる春日。なぜ、老人は気が短いのか?
「・・・・・・・・」
「そもそも、貴様は何の話をしているのか自分でわかっているのか? 枝葉などどうでも良い。根本を掴めと教えたはずだが?」
なにか、理由は不明だが、致命的な間違いで、春日の逆鱗に触れているようだ。
しかも、席をスタンダップしている。まずい。すでに激おこぷんぷん丸である。
しかし、金と木の相剋の説明としては、別に間違った解釈ではないだろう。
中共の悪政としての、天の警告と言う論理からすれば、金尅木で間違い無いはずだ。
ん?
そういえば、そもそもの災異説としての、中共の悪政を具体的に五行論で説明していたか?
・・・・・・
そう考えればしていないような気がする・・・。それか。
「木と金の相剋は、義金の暴走による慈悲の破壊です」
「・・・・・・」
ゆっくりと座り直す春日。どうやら、これが正解のようだ。
「それが、どうしたというのだ?」
「ふむ」
「金は義。木は仁に対応します。義は、正義や大義、義侠心。仁は慈悲で人の優しさや憐れみです」
「続けよ」
「金と木の相剋は、この関係がエラーを起こしているということ。すなわち、中共の国家秩序という大義名分で、残虐な仁を損なう弾圧をしていることを意味します」
「然り」
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災異説におけるコロナ論 第十三話
木火土金水(もっかどこんすい)の五行は、世界そのものを分割する機能を持っている。逆に言えば、木火土金水の五行で世界の全てを構築しているのだ。
そのため、人間の内臓も、それぞれ五行に属しており、俗に言う、五臓六腑とはこのことを指している。
さて、肺は五行で言えば、金行に属している。
素朴に、肺が悪ければ、金行が何か悪いという考えが、漢方の基礎中の基礎の考えである。
そして、ここで重要なのは、現代の科学的思考に教育された現代人が間違えやすい点であるが、
この五行の分類は、「演繹法」であって「帰納法」では、無いということだ。
今でも「占いは統計学である」という意見があるが、これは古代思想に一知半解な者の言だ。
どういうことかと言うと、世界に数多ある存在を、何が何でも、五つの箱に「無理やり収納分類する」演繹的な考えが五行論である。
逆に言えば、世界に、五つに入れられない、分類出来ない物は存在しない。
初めに5の分類要素があり、そこから世界の現象を無理やり分類するという、まず原理あっての演繹法である。
データを収集し、新しい元素が見つかったから、六番目のエレメントにするという、化学の周期表のような、帰納法(現象から理論を導き出す)では無いのである。
ここが、近代以後の科学的思考と、古代の五行論思考の違いである。
これは、五行に限らず、易の八卦でも、西洋のホロスコープの惑星でも同じ思考回路である。
だからこそ、「占術は統計学」と言う言葉は間違いと言える。
経験・実験として、現象をデータとして集め、原理を抽出する演繹法では無いからだ。
初めに原理そのものを決めて、現象データをはめ込むのが、古代の思考方法である。
現代の帰納法の科学思考では、世界は未知に満ちていて、科学の発見により、世界はより解明していく。しかし、古代の演繹法の思考は、世界はすでに完成している。そこから分割するだけである。完成図が未来にあるか過去にあるかである。科学の帰納法は未来に向かい、古代の演繹法は過去に向かう。
川中島が言っている、「易の八卦の巽」は、五行の5パターンとは違って、世の中を8パターンに分解する易の話である。
易占と言う、筮竹をジャラジャラする占い師のイメージは、一般にも共通だが、易は、本来、儒教のテキスト(四書五経)で、万物を二進法に数理学的に見る思考法だ。
今でこそ、巷の占い師の道具のイメージだが、易は、聖人君子が世界を観察して、善政を行うのに使用したツールであり、易経には必ず観察した現象に対して倫理道徳的な改善の方策が述べられている。その意味では、災異説で為政者の君子が、為政を改めるために五行論を使用するのと、同じ使い道であると言える。
易は、五行の木火土金水の5パターンではなく、八卦と言う、8パターンの世界分類ではあるが、思考の根源は一緒である。
自然界を観察し、世界を陰陽の2パターンに分類し、展開するところまで一緒である。差異は、陰陽から二進法で二回重ねて、春夏秋冬の四パターンプラス一パターンの五行論に対し、陰陽を三回重ねる。2の3乗なので8パターンとなる。
また、五行論がそのまま単独で使わず、相互の相生相剋の関係性で、さらに精緻に事象を見るように、
易も、その八卦を重ねて、64卦と言う64パターンの事象を出すため、五行論より具体的な細かい事象を出すことが出来る。
五行論にしろ易にしろ、そんな簡単なパターンでこの世界の事象を全て説明することが出来るのか?と、普通の現代人は考えるであろう。
しかし、実際のところ、少なくとも我々、人間というのは、いつの時代も大して変わりは無いのである。仔細に検討すればするほど、呆れるほど非個性的だ。
例えば、百年前のご先祖は、何を悩んでいたか?
やれ、貧乏で金が無い、モテない、嫁姑の問題が、政治家がと、今と全く変わらない問題で苦しんでいた。
百年前どころか千年、万年前のご先祖様も同様である。
いつの世も、人間は貧・病・争の三拍子で悩み、愚痴を言い憎悪を滾らせて、お互いに殺し合ってきたのだ。
この地球上にいる億の人間は、万年単位で、まったく進歩も進化もしていない、無個性な大衆である。
誰しもが、この地球上で一番の不幸な人間と自分を自慰しながら、全く同じ問題を、先祖代々、子々孫々に至るまで連鎖している。
そこには、全くオリジナリティは無い。
鮭の一生をご存知だろうか?
毎年、卵から生まれて河を下って海に行き、また河に上り、人間や熊に襲われながらも、ボロボロになって上流に辿り着き、卵を生み、死んでいく。そして、またその子供も、同じループを繰り返す。
この行為を尊い生命の輝きと見るか、ただの遺伝子の傀儡と見るかは、価値観の相違であろう。
しかし、オリジナリティが無い、無個性な存在と言うことは確かである。
そして、それは人間も同様なのだ。
万物の霊長と天狗になっていても、実質のところ、鮭と変わりは無いのである。
ゆえに、人間のパターンは古代から大して変わっていない。その普遍的なパターンを知り大衆を導ける者を聖賢君子と呼ぶ。
さて、八卦の形象は、下記のような形象である。
- ☰(乾)
- ☱(兌)
- ☲(離)
- ☳(震)
- ☴(巽)
- ☵(坎)
- ☶(艮)
- ☷(坤)
上記のような形象となっており、左側の記号が、陰陽の、二進法で三回合わせた形象である。一本線が陽で二本線が陰。例えば、一番上の乾なら、陽を三回合わせた形である。
右側の漢字がそれを表す文字だが、もっとわかりやすい漢字として、
天澤火雷風水山地と言う、漢字でも表せる。
さて、この易だが、五行論とも連携しており、八卦の8パターンが、それぞれ方角や季節や時間に該当しており、それぞれが、五行に分類可能である。
巽(風)は五行では、木行に分類されている。要するに、風という象意は五行では木行なのである。イメージとしては、春の温かい風で万物が開花する春風のようなものと考えれば良い。
風は万物を運ぶ。風水という言葉があるが、自然界で、風と水は物事を流通させるのである。水が具体的な物を運ぶのに比べて、風は、抽象的な物を運ぶ。要するに情報を象徴する。
今回、コロナによるウイルスによる風邪と同じ症状や、風説・風聞によるシャットアウトは、八卦で言う風の象意であり五形で言えば、金に尅された結果の木行のエラーと見る。
地球上の流通や情報がストップしているのである。かろうじて、インターネットによる情報の流通があるため、風の情報がゼロになったわけではないが、人による接触の情報は壊滅的にダウンしている。
川中島が上記のような話を説明すると、春日はじれったそうにしながら、
「それだけか?」
「は?ええ・・・」
「話にならんな」
「・・・・・・」
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災異説におけるコロナ論 まとめ
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災異説におけるコロナ論 第十二話
世界は数で出来ている。
洋の東西を問わず、この、同じような思想が存在するのを見ると、人間の生得的な欲求なのであろう。
古代ギリシャでは、この世の根源原理は水である。または火である、いや原子であると、哲学者たちが究明に勤しんだ。そのバリエーションの一つ数である。この複雑怪奇な世界を、なんとかして単純化しようという思考は、科学思考の発端であると言えよう。
(悪くすれば、世界を単純化する陰謀論への陥穽にもなり得るが)
世界はなにせ膨大な存在に溢れているため、属性を分類すればいくらでも分類出来る。
が、その基本パターンが陰陽五行論である。
世界の複雑さは分類すればきりがないが、全てに共通する「何か」をパターン化すれば、五行や陰陽に行き着くというのが陰陽五行論の発想である。
なにせ、現代文明が到達したコンピューターの原理はオンとオフの二進法で成り立っている。
古代思想の残滓である陰陽論の面目躍如と言ったところか。
ところで、董仲舒の時代には、五行論はまだ未発達で、木火土金水の5つのエレメントが単独で存在するだけであった。
五行同士の、相互の関係性の相生も相剋も存在しなかったのである。
さすがに、文明が進み、平安時代の陰陽師が使っていた六壬レベルの占術になると、五行どころか720パターンの複雑さに進化する。
しかし、真に世界の実相を突き詰めれば、世界は所詮、陰陽の二種類に還元出来ると言えよう。
単純な5パターンでも、本質を押さえておけば、事足りるのである。
川中島は董仲舒の時代の単独の五行よりも、相生相剋の相互の関係性も加味した五行論で災異説を考えている。
為政者が悪業を犯すと、天が災いを下すというのが災異説である。
それぞれの五行の徳目のバランスを犯せば、相生相剋が乱れて、災異が起きる。
陰陽で説明を求める春日の問いに答えるのも、この理屈である。
そのため、厳密に言えば、董仲舒の災異説ではないと言えるのだが・・・。
「強いて言うなら、五行の金と木の相剋です」
「それは如何に?」
「コロナは感染症です。まさに風邪の言葉通り、風に載って空気感染します。八卦では、風は巽木。八卦は五行で属性分類したら、巽木は木行に該当分類出来ます。コロナの情報で、各国がパニックに陥っていることから見ても、情報という風説・風聞の領域ですので、木行でしょう」
「金は?」
「コロナでやられる肺です。内臓の五行分類では金は肺を象徴します。金と木は五行でいう相剋で傷つけ合う関係です。中共の為政がエラーを起こした結果、天が警告を促した。そして、順調にまわるはずの五行が、エラーを起こして、金から木への傷つけ合う異常な相剋状態になった・・・という解釈が成り立ちます」
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災異説におけるコロナ論 第十一話
五行論は、中国における世界認識の思考の枠組みである。
今風に言えば、フレームワークである。世界や宇宙を、木火土金水の5つの元素(エレメント)で成り立っているというシンプルな古代思想でもある。
元々、陰(マイナス)と陽(プラス)の陰陽2つだけの要素であったが、時代が進むにつれて細分化した五行論と合体して、陰陽五行論となって今に至る。
これが、暦や十干十二支や易も含めて、東アジアの時間や空間の指標となった。
具体的に言えば、冒頭のような図が五行論である。
木火土金水の5つの要素と、その関係性の図となる。これで世界の全てを記述するのだ。
旧暦に馴染みのない現代人が見ても意味不明の図だが、古代思想なので設計思想は極めてシンプルである。
遥かな昔、古代人が天候を見ると、単純に陰と陽を、見つけることが出来る。
太陽が出ている朝~夕方の時間と、太陽が沈んでいる夜の時間帯である。
また、単純に、自然を観察しても、男女の雄と雌の陰陽は、もっとわかりやすい。
敵か味方かという、生存のための二元論もあったであろう。
古代の為政者は、農耕の主催者のため、一年レベルのスケジュール管理が必要となる。
季節の暦ならば、一年の間に、寒暖の2つの陰陽があり、その寒暖の陰陽を、毎年繰り返すことは齢を重ねれば、容易に経験上知ることが出来る。
さらに、陰陽はお互いに移り変わるため、寒暑の移行の中間段階を入れて、春夏秋冬の4つの季節に一年を分類出来る。
一日の間だったら、朝昼夕夜と循環する。
方位ならば、東西南北に分類出来る。
時間でも空間でも、こうした4つの要素があることは、自然を観察していれば、理解出来る。
西洋では、木火土金水の五行ではなくて、地水火風の四元素が、今でも占星術や錬金術の原理として残っているが、同じ理屈である。
中国文化圏の場合は、これにプラスして、時間や空間で、さらに中心の要素を入れた。空間だったら東西南北の中央、時間だったら季節の変わり目の土用である。結果、元素は5つとなる。
春夏秋冬と東西南北のイメージは、寒暑のイメージで結びついた。北半球の中国大陸に住んでいる古代中国人からすれば、北に北上すれば寒くなり、南に行けば熱くなる。そして、それらは、まとめて、木火土金水の象徴で表現された。
南は暑い太陽の夏で火で象徴される。
北は寒い夜の冬で、水で象徴される。
東は草木の成長の青春の春であり、木で象徴される。
西は収穫の秋で、金で象徴される。
中央の土用は万物の中心の土台の、土で象徴される。
かくして五行の要素が出来た。
ちなみに、さらに、陰陽でわかれば十干であり、月や木星軌道の12パターンの象徴である十二支と組み合わせれば、一巡するのは、最小公倍数の六十干支となる。
現代日本の今でも、今年は子年ですという、あの干支の体系がこれである。
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災異説におけるコロナ論 まとめ
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災異説におけるコロナ論 第十話
一神教は、前世に関わる教義は、基本、保持していない。
死後の来世の教義はあるが、前世の概念がすっぽり抜けているのである。
現代のような欧米のスピリチュアリズムは、輪廻転生の教義を白人でも話すが、それは近代以降の東洋思想の逆輸入である。
本来の一神教には、輪廻転生の概念が無いのだ。
もっと厳密に言えば、古代のユダヤ教やイエスが直接説いた教え、つまり初期の聖書には、輪廻転生の概念はあったようだ。しかし、それも、公的にキリスト教がローマ教会によって、聖書が編纂されていくにつれて、輪廻転生や前世の概念は消去されていった。
それは、絶対神を奉じる一神教の論理によるものであり、人間の自身の行為により救われるということが、絶対神の専管事項を越権する異端として却下されたからと言える。
早い、話が、因果応報による自業自得の救済の論理は、絶対神の教義の論理に合わなかったのである。自業自得という法則は、絶対神による救済のありがたみが薄れるからである。
そのため、結果として、一神教のロジックは、生まれによる差別の因果応報思想が、忌避されたのである。
一神教的な観点からすれば、全ての人間は被造物であり、絶対神の前に平等なのである。
もっと言えば、全宇宙は被造物であり、ビッグバンから宇宙の消滅まで、全て、全知全能の神の予定通りであり、本来は人間の自由意志など、全く無い虚無主義とも言える。
これは、神学的には予定説と呼ばれる。現代ではあまり一般には言われないものの、一神教の根幹には、この教理が存在する。
さて、一神教はともかく、古代から中世の神仏習合の時代の日本では、このような差別思想(因果応報思想)でも、それが常識以前の科学だったのである。これは、日本のみならず中国でも同様だった。
インド哲学という洗礼を受けた文化圏では、全て同じである。インド以外にもカースト制度的な身分性が残っているインド文化圏の国は少なからず存在する。
皮肉なことに、インドと同じ古い文明と巨大な人口を持つ中国は、儒教という身分制度システムを保持したのにも関わらず、共産主義のせいか、福祉に関しては、インドよりもマシという現実がある。
しかし、現在でも、日本に限っても、坊主(仏教)は口にして公に言わないだけで、本音は、上記のようにあらゆる差別や不幸は、自業自得であると認識しているのだ。
要するに、坊主は差別思想の不逞の輩なのである。
そして、これは、穢れを嫌う神道も、同じ穴のムジナであった。
今でこそ、仏教も神道も西洋近代の、自由平等人権の思想に合致しているかのように善人ヅラをしているが、つい最近までは、バリバリの差別宗教だったのである。
さて、そんなことを、雑談混じりに、会話しながら、川中島がコロナの災異説を、中共の悪業であると指摘すると、
「それを陰陽で申せ」
と一言のたまわった。
春日が言うところの陰陽とは、文字通り陰陽五行のことである。
厳密には、平安時代の陰陽道の言う陰陽とは、陰陽五行論というよりは、六壬という複雑な卜占のことを言うのだが、春日の言う文脈の陰陽は、災異説に従ってかつ、具体的に陰陽五行論で言えということである。
因果応報で、悪業があったから天罰が落ちたというのは当たり前の話で、それを、陰陽五行で説明出来るか?ということである。
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災異説におけるコロナ論 まとめ
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