災異説におけるコロナ論 第九話

 実は、日本人はあまり知られていないことだが、世界宗教である一神教では因果応報論は採用されていない。

 もちろん、善が報われ、悪が裁かれるという観念は、当然、一神教でも存在する。
 神の裁きや天誅という概念は、一神教文化圏でも存在する。

 しかし、絶対神の存在を重要視する一神教では、神の優越性を重視するがゆえに、救いに関して、人間の善悪の行為を、救済の決定的な物とはしていないのである。
 わかりやすく言えば、一神教は人間が救われるのは、絶対神の意思如何であって、矮小な人間の善悪の行為ではないという認識なのである。

 わかりやすく言えば、人間側の行為で重要なのは、神(厳密に言えば、絶対神やイエス)を信じるかどうか(信仰)で、人間の行為は重要ではない。
 もっと言えば、人間側がどんな悪行をしても、神を信仰し、神に懺悔すればあっさり許されて天国に行けるのである。
 
 ここらへんの認識は、仏教というか多神教を信じる我々、日本人には理解不能な認識である。

 しかし、絶対神を文字通り、宇宙の真理よりも上位に置く一神教では、因果応報や輪廻は所詮、人間と同じ被造物なのである。

 例えば、科学法則もその一つで、奇跡一つとってみても、それは非科学的だと言う非難は彼らには通じない。海の上を人間が歩けるわけが無いと、科学的に論破したところで、宇宙を創造した絶対神自然法則を一時停止した、と言われればそれまでである。

 我々、日本人は神仏よりも、アニミズム的な自然や法則を上位に置くため、このような一神教の理屈は認識し難い。

この、一神教に近い教義を持つ日本の宗教では、阿弥陀仏の念仏を信じる浄土系(浄土宗、浄土真宗)が一番近い。

 念仏と言えば日本人は誰でも知っている。南無阿弥陀仏と唱えれば、どんな人間でも、阿弥陀仏が救ってくれる、死後は極楽往生阿弥陀仏が強制連行するという話は、なんとなく日本人は知っている。
 親鸞悪人正機という言葉も、なんとなく教養として、知っている。

 しかし、よくよく考えてみれば、これは、仏教の因果応報のロジックから外れている。
 善行もしていない、悪行三昧の悪人でも、念仏を唱えれば、無条件で極楽往生出来るというのは、自業自得の観念からすれば、随分、虫がいい話ではある。

 しかし、阿弥陀仏の広大無辺の慈悲により、念仏を唱えて信仰すれば、救われるというのである。
 ※厳密には、親鸞浄土真宗だと念仏を唱えるまでもなく、初めから阿弥陀仏に救われていると考える。

 これに対して、だったら、悪行三昧して死ぬ前に念仏を唱えればいいではないか、という笑い話があるが、実際、その通りなのである。
 ロジックとしては、それでも、浄土系のロジックだと救われてしまうのだ。
 
 もちろん、浄土系の宗派では、初めからそんな悪用する意図はなく、大本の意味は、善行を積めず悪行を止められない弱者(全人類を含めた一切の衆生)の、救済のための有り難いロジックである。
 元々、出家して修行しろという釈迦の教えが、時代によって進化(退化とも言う)する。仏の絶対性と慈悲が強調されれば、必然的に、こうなる。人間の行為の善悪を超越した救済と言う、信仰心の宗教になるのである。

 多神教もしくは無神論唯物論の仏教でさえも、1000年単位でこのような教義になるのであるから、初めから、絶対神の概念を有する一神教は、尚更である。究極の慈悲による絶対神の信仰になるのである。

 人間という下等生物を含めた、全宇宙の存在を生み出した全知全能、絶対愛の、絶対神の救済は、人間側の行為に左右されない。むしろ、人間側の作為は絶対神を穢す行為である。
 信仰の如何(いかん)だけ、信じるだけで(信じなくても)救ってくれるのである。信じるものは救われるのである。

 このような信仰形態は、一見、都合の良い話に聞こえる。

 自業自得の因果応報に比較して、下手すれば迷妄にすら聞こえる。しかし、実際には、世界でメジャーなのは、このような絶対愛の一神教なのである。前述した、近接概念の念仏信仰は、日本の宗教市場でも仏教宗派NO1である。少なくともマーケティングでトップに市場に愛されているのは、こっちの論理なのである。

 そして、そのような絶対神の信仰とは別に、因果応報の論理は、差別思想を生むことは前述した通りである。

 元々、一神教が世界で市場を制覇したのも、実は、この差別思想を克服したという実績がゆえである。

 

 

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そしてそれが、さらに陰徳になるという、好循環のスパイラルです。

 

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災異説におけるコロナ論 第八話

 管理人より。

 

皆様、いつも弊ブログをご覧いただいてありがとうございます。

 

第8話ですが、中身が消失してしまって欠番となっております。

内容的に新しく書き直そう(復元しよう)かと思いましたが、ここだけ消失するのは、何か公開してはならない天意の可能性を考慮して、欠番のままにしておきます。

決して、豊河が書き直すのがめんどくさいからではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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災異説におけるコロナ論 第七話

 

 

 

 

「して、今の疫病が、災異説に当て嵌まると、申すか?」

「はい、原因の無い事象は存在しません。釈尊の因果応報を引き合いに出すまでもなく、物事には必ず原因と結果があります。それを五行で解析するのが陰陽道のはず」

「笑止。陰陽道は今の用語のような、武道芸道の『道』ではない。古代の官庁名に過ぎん。儒学を教える明経道律令を教える明法道。それらと同じような命名規則に過ぎん」

「はい。しかし、朝廷に報告する怪異の解析、災異の解析も、陰陽道の仕事のはずです」

「・・・・・・」

 陰陽道と言うと、現代人は、まるで合気道や空手道のような、何かしらの体系システムを思い浮かべる。
 陰陽という学習段階のある、一つの術数体系があるという認識である。
 しかし、陰陽道の道というのは、現代日本人が考える、神道仏道と同じような意味ではない。
 あまり知られていないが、陰陽道というのは、ただの、省庁名なのである。

 春日が茶化したのは話を反らすためであり、単なるジャブに過ぎない。

「ならば聞く。貴殿は、この事象をどう捉える?」

「当然、発生源の、中共の悪政の結果であると思います」

中共に、どんな悪があるというのか?」

「強いて言うなら、民衆を弾圧する強権的な暴力主義、軍国主義であると思われます。スペイン風邪が蔓延したのも、第一次世界大戦のような暴力が吹き荒れていた時代でした」

 災異説も突き詰めて言えば、仏教の因果応報と同じである。
 マイナーな災異説に比較して、因果応報の思想は、日本人なら誰でも知っている宗教道徳訓である。

 善因楽果、悪因苦果。
 善いことをすれば、幸運が帰ってくる。悪いことをすれば不運が帰ってくる。

 例え、現世で果報が来なくても、来世でその応報が報われる。死後、閻魔の裁きに会い、地獄や天国に行くのは、日本人の原風景として、漠然と我々は認識している。

 宗教心が無いと言われる、現代日本人でも、この感覚は抜き難く残っている。
 お天道様が見てるという、日本人の心象風景を公式化した思想と言えよう。

 しかし、このような死後の観念は、言語化としては、世界宗教である仏教によって日本に伝来された。
 死後の世界と応報そのものは、他の文明文化と同じく、人類が後天的に構築したものである。

 それは、今では当たり前の宗教道徳ではある因果応報が、自然にあるものではないことを意味する。
 人間が、高度な社会を形成するまでは、不要だった「科学法則」だからだ。

 古代において、理不尽がまかり通った、民主主義や人権の無い時代において、先進国であったインドが、人間の公平観念を、無矛盾無く説明するために、作られたロジックでもある。
 来世や前世という、立証不可能な仮想世界を構築することで、現世の理不尽を解消したアイデアである。

 特に、宗教が人間の歴史に登場するに当たり、正義と慈愛の神の力を立証するための、弁神論としても活躍する。
 現世だけを見れば、悪人は栄え、善人が報われないのが当然だからだ。

 神の存在を前提にすれば、このような理不尽と教義の矛盾は解消し難い。
 神が存在するならば、なぜ、このような不公平を放任するのか?という疑問は宗教の発生とともにあった。

 しかし、前世と来世の時間軸の延長を加味すれば、神の収支の決算はバランスする。
 地獄や天国という舞台装置を設定すれば、前世、現世、来世の業(カルマ)は無矛盾なく決済するのだ。

 現世でのうのうと生きていた悪人が、死後、地獄に行き、報われない善人が、死後、天国に行く。

 これにより、神の正義の天秤は、正統性を持つことが出来るのだ。

 もちろん、個人レベルでも、善き人間学として、使われてきた。
 先祖や前世の生まれ持った業の解消に、善行が推奨するのは坊主だけの専管事項ではない。 

 せっせと陰徳を積むことで、開運したり寿命を伸ばすという、小賢しい世渡り法は、神道儒教道教問わず、王族貴族から庶民に至るまで、時代時代の流行りだったのである。

 中国の明の時代には、善行悪行を、点数化する善書が大ブームを巻き起こし、日本にもその書籍が伝わってきている。
 ※日本語でも読める古典としては、「陰騭録」などが有名である。

 

 

 

 

 

 

 

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災異説におけるコロナ論 第六話

 

 災異説のメカニズムは至極シンプルな理に基づいている。

 為政者が、悪政をする。
 →天が為政者を改めさせるために、警告を打つことを決定。
 →五行的に自然界のバランスが崩させる
 →天変地異や奇矯な出来事を起こす。

 上記のような、単純な因果応報のマクロ版である。
 逆に言えば、天変地異があるのは、為政者の徳が足りないから。
 単純極まりない、ロジックでもある。

 我々が良く知る、仏教の因果応報と、基本的なシステムは何ら変わりは無い。
 ※そして、これは同時に、仏教の因果応報理論の弊害も内包しているということでもあるが、今は置く。

 だが、当然、このような思想は、身分制の時代では、体制批判に等しいため、危険思想ではある。
 なにせ、権力者に、あなたの治世は、天道人道に背いてますよと、諫言することに等しい。
 董仲舒が、出世出来なかった(あやうく死罪になりかけた)のも、これが原因であった。

 しかし、その後も、連綿と、この災異説は生き残り、儒教の伝播(仏教含む)を通じて、
 徳が足りない為政者のせいで、天変地異が起こるという発想は、アジア人の認識に、今に至るまで影響を与えている。
 
 この災異説。
 当然、中華文明圏の周辺諸国である、日本にも伝来した。

 しかし、日本は元々、易姓革命を唱える孟子を、輸入禁止にまでしていた国である。
 為政者である天皇の徳を掣肘する災異説は、異端中の異端の教えではあるが、先進国の大陸から文明を輸入するメリットには勝てなかったようだ。

 元々、政治の道徳概念などなく、道教や仏教を、怨霊(自分たちが政権闘争で殺した相手)対策程度にしか導入していなかった大和朝廷も、時代が経るに従って、善政という概念を理解し始めた。

 この思想を元に儀式を行っていたのが、大和朝廷の公務員であった陰陽師である。
 基本、彼らの仕事は暦の作成であるが、国家運営に携わる公務員として、この災異説の政策提案も兼ねていたことはあまり知られていない。

 ちなみに、フィクションにおける妖怪退治は、当時は坊主の仕事であり、彼らの仕事ではない(実際はなんやかんやと行っていたが)。安倍晴明のライバルの芦屋道満が法師(仏教)だったのも、お役所仕事をする官僚の安倍晴明と対比していた構図である。
 
 陰陽道は朝廷の省庁であり、震災や疫病、おかしな怪異が出た時に、陰陽師六壬の占術を用いて占い、かつ災異説で五行的なアドバイスを朝廷に報告する地味な仕事である。 無論、下級官僚である陰陽師には、政策の決定権は存在しないため、あくまで報告提出である。 

 この災異説が、政権へのエラーチェックシステムとして機能した。
 つまり、具体的にこのような天災地災があれば、五行的に、このような為政の問題理由があり、こうすれば良いという対応策まであるということである。

 当時の大和朝廷は、天変地異があるたびに、為政者を懺悔させ、恩赦を出すと共に、坊主に祈祷させた。

 ちなみに、基本、国家の公式の国教は、神道と仏教が、メインである。平安時代の前の奈良時代には、全国に疫病が流行した際に、大仏を建立したことは、その例である。日本における宗教ランクは、仏教→神道道教であった。

 具体的な対策・政策案としての官僚のタスクとして、暦から天の理を地に反映させ、かつ災異説的な対策を提案するのが、陰陽師の仕事の一つであった。

 今回のコロナのような疫病は、基本、疫鬼などの魑魅魍魎の仕業と見て、それらを祓う儀式をするのは、仏教、神道陰陽道に限らず、同じである。

 しかし、その真の原因は、魑魅魍魎ではない。魑魅魍魎を祓って終わりではない。

 疫病自体の原因は、因果応報によるものであり、為政者の悪政であると考えるのが災異説である。

 そのことを、プロである、元陰陽師の春日が知らぬはずはない。
 それを見越して、川中島は挑発したのだ。

 

 

 

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災異説におけるコロナ論 第五話

 

 歴史上、儒教は為政者側のプロパガンダだったのみならず、皮肉にも、それ自身が逆転して、為政者そのもの地位をも揺るがす危険思想の刃でもあった。

 理由は、儒教の持つ「道徳」である。

 儒教は、権力に弱い宗教という一般的認識を尻目に、時代時代の節目に、地下のマグマの如く噴出する危険思想なのであることは、あまり知られていない。

 また、儒教に限らず、およそ、宗教は古来より、権力の補益と言えど、宗教権力と現世的権力が衝突することは、歴史に頻発する事象である。

 なぜなら、現世の権力よりも、別の、地上の権力よりも上位の、神の世界の権力を、主張するのが宗教であるからだ。

 言ってしまえば、宗教というのは、とどのつまり、神は地上の権力者より偉いという認識を大衆に与える思想なのである。
 これは、戦国時代の信長が手を焼いた宗教寺院勢力や、西洋中世のローマ教皇を思い浮かべれば首肯するであろう。王が教会に膝を屈する歴史的事例が、好例である。

 王権神授説という言葉は誰でも知っている。この言葉は、地上を支配する王権であっても、その正統性の担保に神の威光を必要としたことを示している。王の頭上の冠は、神の栄光の担保によって光輝いているのだ。

 権力者はこの世を支配する。しかし、そのような地上の権力よりも、上位の権力を仮想世界に構築するのが宗教のデファクト・スタンダードである。これが、現世の権力者と衝突するのは、当然であり、人類の歴史は、宗教権力と現世の権力の主権争いの闘争と妥協の産物であるとも言える。

 とは言え、万世一系を奉じる、我々、日本人は、明治の近代化以降、絶対的な天皇制の存在を疑わないシステムの支配下(その上位にいるのがアメリカだが)にあるため、あまりピンと来ないかも知れない。

 これは、近代以前にも信長以降、宗教権力が、現世の権力者にその政治的地位を剥奪されたためでもある。明治以降の国家神道も先の戦争の敗北の結果、「人間宣言」をGHQという新しい現世権力者に強いられ、その超常性と神性は地に堕ちた。

 およそ、日本国は、絶対的な権力者が立ちにくい。立ってもすぐに引きずり降ろされる。かと言って、天皇が権力者かと言えば、そうではなく、やはり、その権力保持者が天皇であっても、地に引きずり降ろされる。

 これは、和を以て貴しとなす、聖徳太子の呪いでもある。誰もが口を揃えて、呪術において、およそ完璧な太子の古代の呪術は、未だに日本国を支配しているとも言える。

 どんな人物が天皇になろうが、実権的な権力を行使しないため、日本人は、倒すべき残虐な統治者というイメージは希薄である。我々は、天皇が、代々の日本国の長であることを容認し、他の国のように、悪逆の非道な統治者を倒すという、革命思想が希薄な珍しい民族国家でもある。

 しかし、逆を言えば、実権を持たない天皇制という歴史だからこその結果であって、もし、天皇制が権力を持っていた時代が続いたならば、とうに「易姓革命儒教孟子)」によって天皇制は淘汰されていたかも知れないのである。

 儒教は、基本、先祖供養などの宗教的な儀式の側面も存在するが、それ以上に、「仁義礼智忠信孝悌」の道徳認識を基盤にする「政治思想」である。

 そのため、基本、為政者の権力基盤として作用するシステムである。例えば、忠孝という概念が、日本の封建的精神を育んだことは、我々日本人ならばおなじみであろう。

 が、同時に、このことは、道徳見地から見て、権力批判の武器にもなる諸刃の剣である。
 儒教の亜聖である孟子易姓革命論を見るまでもなく、「為政者は道徳的に世を治めるため天に選ばれし者である」というのが儒教における為政者の王権神授説的「キャラ設定」だからだ。

 そこには、日本の天皇制のように、道徳に関係なく、その地位を万世一系で、維持するという同民族的ヌルい概念は無い。

 元々、徳川幕府の秩序維持のために導入した官学の儒教は、やがて、朝廷を錦の御旗とする、明治維新へと突き動かしてしまったことは、我々、日本人の歴史の記憶に新しい。

 儒教の本場の中国では、日本とは違い、悪政とされた皇帝権力が、易姓革命で打ち倒されてきた歴史がある。

 つまり、アジアにおいては、王権神授説で政権を担保するのも革命で打ち倒すのも、儒教の持つ「道徳」という概念であるのだ。

 董仲舒の災異説は、このような儒教的な考えの、伝統の延長上線、いや、古代の儒教と言う根本にある思想である。
 つまり、現世的権力の道徳的行為と、「天」がリンクしているという考えである。
 すなわち、天人相関思想でもある。

 当然、災異説が、現代の疫病であるコロナ騒ぎに関連があるという認識に至ることは言うまでもないであろう。

 

 

 

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災異説におけるコロナ論 第四話

 

 董仲舒は、前漢儒学者である。

 この、日本人には聞き慣れない男は、当然、日本人ではない。当時、まだ儒学が中国の漢帝国の国教として固まる段階での儒学者であり、出世間的には、他の儒学者や他宗教の聖人や哲学者と同様に、不遇だった人物である。

 その董仲舒には、儒学者とは別に、もう一つの顔が存在している。それが「災異説」の論者としての顔である。

 災異説とは何か? それは、統治者の行為(道徳的行為)が、天と感応し、天災地災を引き起こすという古代の類感呪術的思想(天人相関説)である。

 早い話が、国内に震災や疫病などが起これば、それはその国の為政者の、徳の無い政治の結果であるという考えである。

 古来より、儒教は日本人にとっては、古臭い老人の道徳訓であり、そしてそれと同時に、長らく、為政者としての国教、統治を正統化する支配ツールだった。

 日本は、神道や仏教も、社会実験として採用した時代もあったが、結局、儒教の使い勝手の良さが群を抜いていたため、日本を含めた中華文明圏では、儒教が国教のスタンダードとなって今に至る。儒教を弾圧した共産中国ですら、今では、世界中に孔子廟を建てる有様だ。

 そのため、儒教の本場の中国はもとより、古くから日本の為政者の必須教養であり、江戸時代には徳川幕府儒教朱子学を、国家の公教として採用した歴史がある。

 具体的には、儒学の一派である朱子学が、幕府を支えるプロパガンダとしての公共の学問となったことは、日本史を学校で習った者なら誰でも知っている。

 そして、徳川の世が終わり、日本が近代に突入した後も、儒教の倫理道徳の統治システムは、明治政府に引き継がれた。

 忠君愛国の滅私奉公は、つい最近までの日本人の当たり前の道徳であり、戦後に至って、旧弊が撤廃されても、しぶとく生き残り、会社への愛社精神に引き継がれたとも言える。

 上記のような歴史の背景上があるとは言え、さすがに、現代の日本人としては、儒教とは、忠孝や軍国主義などの、封建制度を支えた御用学問であるというのが、一般認識であろう。人によっては、現代のブラック企業に逆らえない日本人の後進性の元凶であると考える話もある。

 ところが、何事も、陰陽の矛盾を内包しているのが、世の常である。

 

 

 

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災異説におけるコロナ論 第三話

 

 最初の方は高級ホテルで面談していたが、なぜか、今はジョ◯サンである。
 すでに川中島もその理由は忘れていたが、たしか、先方の家に近いから楽だとか、そんなどうでもいいレベルの理由だったような記憶がある。

 さて、川中島が気づけば、すでに来客は目の前の上座に座っていた。

「・・・・・・」

 こちらを睥睨する、大柄な体格の老人のそれである。
 しかし、好々爺の擬態を台無しにするのが、獰猛な知性がそのまま表に出たような、鷹のような鋭い眼光である。

 権力を握り、多くの人間の生活や命に責任を持ってきた者のみが持つ、眼力がある。底辺の川中島としては、あまり好きな目ではない。

 しかし、人間を必要に応じて動かさなければならない必要性から、彼らの眼力は、一種の呪術的な魅力を放射する。

 例え、術を使わない「ただの権力者」ですら、まるで媚蠱の瞳術のようなカリスマ性を持つようになるのだ。川中島は、これは、人間の進化心理学的な遺伝子の能力だと見ている。生き残るために集団を組織するために必要から生まれた人類の進化の能力。

 そして、恐らく・・・全体の利益のために人を犠牲にしてきた目でもある。

「あっ、春日(かすが)先生、お久しぶりです。本日はご足労頂きありがとうございます」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

 沈黙が続く。別に川中島は、老人と、中学生の思春期のデートをしているわけではないので、高級ヒー(高級コーヒー)を啜って、向こうが話すのを待つ。

「して、今日は何を聞きたい?」
 
 抜けきれない、関西弁のイントネーションを含んだ言葉。
 いつもながら無駄に偉そうな(実際、偉いのだが)、態度である。

 毎回、特にテーマは決まっていない。
 その時、その時の気分で決定する。

 川中島は、すでに今回の質問事項を決めていた。

「今、中共武漢に端を発した、世界的な感染症コロナウイルスについてお聞きしようかと思っています。今回、これが何故、疫病として世界的な爆発で発現したのでしょうか?」

 しばらくの沈黙。
 しかし、沈黙を挟んだ答えは意外な物だった。

「下らん・・・」

 下らんと言われても、今や世界中のビッグウェーブである。
 川中島は呆れて問い返した。

「下らぬことはありません。致死率10%超えの疫病ですよ? 今後も、スペイン風邪を前例とするならば、より致死率の高い第二波、第三波が想定されます。すでに国内だけで緊急宣言、自粛で経済が壊滅状態です。下手すれば、世界大戦まで再現する可能性すらあります」

 特に、免疫が低下したお年寄りの貴方にとっても重要毎でしょう? 

 と、川中島は言いかけてやめておいた。荒行で鍛えたこの老人の方が、不摂生をしている若い川中島よりも健康そうだ。

「疫病は人類の友であろう。理由も何も無い。自然に理由があるのか?」

 嘲笑するように言ってくる春日。 
 嫌な友達である。正直、そんな友達はいらない。少年漫画的な、強敵と書いて、”とも”と呼べる関係とでも、言うのだろうか?

 もちろん、そういうことを聞きたいのではないことは、百も承知で言っているのである。

「はい、疫病を含めた天変地異の災害は、陰陽的に意味がある、と考えます。董仲舒の災異説を見るまでもなく、”我々”の考えでは、当然、それに意味を付託して見るのが当然かと」

董仲舒か・・・」

 

 

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