災異説におけるコロナ論 第十話

 一神教は、前世に関わる教義は、基本、保持していない。
 死後の来世の教義はあるが、前世の概念がすっぽり抜けているのである。

 現代のような欧米のスピリチュアリズムは、輪廻転生の教義を白人でも話すが、それは近代以降の東洋思想の逆輸入である。
 本来の一神教には、輪廻転生の概念が無いのだ。

 もっと厳密に言えば、古代のユダヤ教やイエスが直接説いた教え、つまり初期の聖書には、輪廻転生の概念はあったようだ。しかし、それも、公的にキリスト教がローマ教会によって、聖書が編纂されていくにつれて、輪廻転生や前世の概念は消去されていった。

 それは、絶対神を奉じる一神教の論理によるものであり、人間の自身の行為により救われるということが、絶対神の専管事項を越権する異端として却下されたからと言える。

 早い、話が、因果応報による自業自得の救済の論理は、絶対神の教義の論理に合わなかったのである。自業自得という法則は、絶対神による救済のありがたみが薄れるからである。

 そのため、結果として、一神教のロジックは、生まれによる差別の因果応報思想が、忌避されたのである。
 
 一神教的な観点からすれば、全ての人間は被造物であり、絶対神の前に平等なのである。
 もっと言えば、全宇宙は被造物であり、ビッグバンから宇宙の消滅まで、全て、全知全能の神の予定通りであり、本来は人間の自由意志など、全く無い虚無主義とも言える。

 これは、神学的には予定説と呼ばれる。現代ではあまり一般には言われないものの、一神教の根幹には、この教理が存在する。
 
 さて、一神教はともかく、古代から中世の神仏習合の時代の日本では、このような差別思想(因果応報思想)でも、それが常識以前の科学だったのである。これは、日本のみならず中国でも同様だった。

 インド哲学という洗礼を受けた文化圏では、全て同じである。インド以外にもカースト制度的な身分性が残っているインド文化圏の国は少なからず存在する。

 皮肉なことに、インドと同じ古い文明と巨大な人口を持つ中国は、儒教という身分制度システムを保持したのにも関わらず、共産主義のせいか、福祉に関しては、インドよりもマシという現実がある。
 
 しかし、現在でも、日本に限っても、坊主(仏教)は口にして公に言わないだけで、本音は、上記のようにあらゆる差別や不幸は、自業自得であると認識しているのだ。
 要するに、坊主は差別思想の不逞の輩なのである。

 そして、これは、穢れを嫌う神道も、同じ穴のムジナであった。

 今でこそ、仏教も神道も西洋近代の、自由平等人権の思想に合致しているかのように善人ヅラをしているが、つい最近までは、バリバリの差別宗教だったのである。

 さて、そんなことを、雑談混じりに、会話しながら、川中島がコロナの災異説を、中共の悪業であると指摘すると、

「それを陰陽で申せ」

 と一言のたまわった。
  
 春日が言うところの陰陽とは、文字通り陰陽五行のことである。

 厳密には、平安時代陰陽道の言う陰陽とは、陰陽五行論というよりは、六壬という複雑な卜占のことを言うのだが、春日の言う文脈の陰陽は、災異説に従ってかつ、具体的に陰陽五行論で言えということである。

 因果応報で、悪業があったから天罰が落ちたというのは当たり前の話で、それを、陰陽五行で説明出来るか?ということである。

 

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 災異説におけるコロナ論 まとめ

 

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