災異説におけるコロナ論 第十九話

 軍部の暴走(実際は天皇から国民までの君臣揃った希望であった戦争)により、敗戦の憂き目にあった大日本帝国という国家が、かつて存在した。

 その結果、GHQに解体された、大日本帝国の国家システム、即ち国体は、日本国憲法のシビリアン・コントロールという、文民統制システムに強制的に更新を余儀なくされた。

 戦争の結果である。日本だけでなく、世界的にも第一次大戦、第二次大戦と悲惨な一心不乱の大戦争の果てに、世界の戦争を防止するシステムが数多く、構築されたのである。

 言わば、金(義)の闘争エネルギーは、膨大な屍の犠牲を経て、人類の叡智により、木(仁)の平和エネルギーへと転換されたのである。逆に言えば、人間は、甚大な悲劇が無ければ、悔い改めることが出来ない生き物ということでもあるが・・・。

 戦争というのは、孫子を見るまでもなく、国の存亡であり、総力戦であるため、国家予算が潤沢に放出され、それまでの科学が一気に、グレードアップし、社会システムについても、従来の固定化された身分制度が破壊される。(それに耐えきれず、滅ぶ国も多いのだが)

 資本主義を見るまでもなく、闘争は、相手との弁証法的な競争により、新しい境地に至る有効な行為となる。
 自民党の某代議士が、戦争は人間を進化させると放言し、非難を食らった。この盲言の元ネタは弁証法的なドイツ哲学のナチス経由の亜流の思想であるが、巨視的な、長期的な観点から言えば、正しいのである。

 他者と競合するということは、悪くすれば無慈悲(金から木の相剋)を引き起こすが、上手く行けば、相手を知り己を知り、従来の非合理なシステムを打ち壊し、閉塞した環境を新たな時代にあったシステムに進化させることが出来る。
 
 それは、「水に写した鏡」の徳目である智の水でもあるのだ。
 金の徳目でもある「正義」は、革命改革の従来のシステムを壊す勇気であり、それは客観的に彼我を見ることが出来、新しいシステムを構築するという智の水の徳目に連鎖する。それは金生水の相生ルートでもある。

 逆に言えば、金の闘争なくして、智という水は生まれないのである。
 もっとも、実際にそれが、水の智慧なく、ただ正義のための正義、虐殺のための正義、金から木の仁慈を剋すレベルは相生ルートではなく、相剋ルートではあるのだが。水の智なき金の正義は天から離れた虐殺でしか無い。

 上記のような川中島のダラダラした説明に、またもや春日はもどかしそうにしながら、

「では、今回の中共の件は?」
「当然、水の智で流します」
「具体的には?」
「ええと・・・」
「五行の中では水の判断は一番難しい。金から水が生成するというのは理屈に合わぬし、智という徳目は曖昧だからだ。ヒントをやろう。因果の業で考えてみよ」

 

 

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 災異説におけるコロナ論 まとめ

 

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