五行と陰徳⑰ 楽→悪パターン
楽→悪
今度は、楽から悪への相克(攻撃)関係です。
なぜ、楽が悪へと相克(攻撃)するのか?
本来、楽は悪とほぼ同義語です。
楽は善因の果報であり、幸福やラッキーや快楽や救済などプラスの出来事です。
しかし、大半の宗教道徳は、楽を敵視します。
特に金などは、蛇蝎のごとく、嫌います。
その楽が悪を相克するというのはどういうことでしょうか?
今回はこれを考えてみましょう。
無明飛ばし
普通の感覚ですと、快楽漬けの生活は人間をダメにします。
実際、楽→無明→悪の通常の相生ルートですと、楽な環境は、これが当たり前だという無明(油断)を生み、結果、怠惰という悪になってしまいます。
楽は、人をダメにするというのが定説なのです。
しかし、これは、あくまでも、楽→無明→悪という間に無明を挟んだ状況です。
無明をすっとばせば、楽は悪に相克するということでもあります。
それはどういうことかと言えば、要するに無明(諸行無常の真理を知らない無知)というのは、それが当たり前だと思ってしまうような認識、快楽が当然だという現状認識です。
まあ、俗にいう感謝を知らない認識です。
この状態だと、楽な状況でもそれが楽だと認識出来ません。
それが当たり前の状態だからです。
悪は、基本、福徳を減衰させます。自分の持ってる貯金を切り崩すようなものです。
陰徳ポイントがどんどんと消費して、悪業ポイントが溜まっていってしまうのです。
要するに非常にもったいない行為なわけです。
つまり、無明という「この状態が恒常」という意識が無ければ、こういうもったいないことをしません。
楽は、善因の結果であるというもので有限であるという認識、常に諸行無常であり、今の楽は永遠ではない、自分の思い通りにならない諸法無我であると言う、無明から外れた真理の状態であると、わざわざ徳分を減らすような悪業はしなくなるわけです。
これが、無明をすっとばした楽が悪を相克するという意味です。
普通という贅沢
あまり、知られていませんが、実は、苦がない「普通の状態」というのは実は結構な楽環境なのです。幸運な状態と言ってもいいでしょう。
人間の苦しみは貧・病・争の三悪ですが、貧困でもない、病気でもない、争ってもいないという「普通の状態」というのは実は相当ラッキーな状態、別な言い方をすれば、福分の貯金を急速に減らしてしまっている状況なのです。
これは個人でも組織でも同じです。
貧・病・争がない平和な状態が長く続くと、人は堕落します。
堕落すると悪をなしてしまいます。
悪をなさなくても、急速に福分ポイントを減らしてしまうので、やがて福分が尽きるとその平和な状態が消滅してしまうのです。
よく、個人でも組織でも国家でも、何の罪もないのに、突然の何らかの被害(自然災害でも犯罪でも)に巻き込まれて嘆いて神も仏もないということを人間はよく言いますが、実はこれが原因です。
「何も悪いことをしていない平和な状態」というのは、福分を減らしまくっている贅沢な状況なのです。
では、どうすればこれが回避出来るのか?
無明に陥らないことです。
今いる平穏な状況は、実はヤバい状況であり、急速に善業を消費している。
せっせと善業を積まなければならない。
さらに、より強力な善業を積めるようにするため、さらに努力精進して能力を高めなければならない。
毎月、一万円寄付出来たならば、収入を10倍に増やして、毎月、10万円寄付出来るようにしなければならない。
一人助けることが出来るのならば、10倍の能力をアップさせて10人救えるようにしなければならない・・・。
上記のように、無明を脱して、陰徳善業を積み、努力精進して能力を高めるようにするのです。
こうすれば、楽な状態でも悪を掣肘出来るでしょう。
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