五行と陰徳⑯ 苦→楽パターン

 

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苦→楽


前回は、無明→苦の相剋状態を見ていきました。

今回は、続けて、苦→楽の相剋状態を見ていきましょう。

 

今まで見たとおり、季節の巡行と同じく、人間の人生は五行を辿ります。

木火土金水をそれぞれ、善→楽→無明→悪→苦と巡り、また善に戻ります。

基本、因果応報の輪廻転生のサイクルはこのようなものであるという認識です。

 

このサイクルに関して、インド人は苦しみの世界と認識しました。

そして、それを止める方法を宗教の最終段階と定義しました。

それが、悟りにより解脱という脱出ルートです。

これは、仏教を通して日本にも入ってきていますので、我々、日本人も知っています。

 

しかし、宗教は仏教だけではありません。

むしろ、消滅を目的とする宗教の方が珍しいのです。

一神教もそうですが、死後は絶対神の力で、永遠の不老不死に至るのを目的にする宗教の方が世界宗教としては普通です。

中国の道教も仙人はタオ(道)と一体になり永遠不滅の生命体となりますので、やはり後者の宗教でしょう。

仏教でも念仏のように阿弥陀如来の極楽浄土に行く教義が日本仏教市場では最大のシェアを誇っています。

※厳密に言えば、極楽浄土は悟りのための修行場なのですが。

 

近年は、進化論が科学や社会学から入って来ているため、この影響で、輪廻転生で永遠に霊体が進化していく霊的進化論の宗教も多くなっています。

 

さて、五行論と仏教を無理やり悪魔合体させているこの五行と陰徳コンテンツも今まで見てきましたが、この観点から見ると、一般には良いとされる相生が仏教的には悪で、相剋が善になったりしています。

この点はやはり、現世のサイクルを悪とする仏教の価値観のためでしょう。

 

では、苦→楽(五行で言う水→火の相剋)の状態はどうかと言うと、ぱっと2つの道徳的解釈が思い出されます。

 

それは、

①苦労から来る油断や贅沢の排除

②敗者や弱者の強者や成功者への嫉妬(ルサンチマン)や革命

この2つの道徳的解釈です。

 

下剋上への道

 

因果応報理論は、基本的に、善因善(楽)果、悪因悪(苦)果です。

要するに、良いことをやったら楽が帰ってきて、悪いことをやったら苦が帰ってきます。

死後に行く裁きの結果なら、なおさらです。

そして、構成要素として、善→楽、悪→苦として、善悪、楽苦の四つしかありません。

単純明快なのです。

 

相生の場合、現世でも地獄でも、苦で人間が反省します。

痛い目を見ないと人間は反省しないものです。

また、単純に悪果で自分がやったカルマで苦しんでいるということもあります。

 

さて、そんな苦→楽ですが、二パターンが考えられます。

 

①は、これは治に居て乱を忘れずの教訓です。

困難を知らない世代はリスク管理に甘いのです。

平和や安定とは勝手に存在するものではなく、努力の果てに構築出来るものです。

おまけに、因果応報で言うと、楽(幸福)は溜め込んだ善業の貯金を食いつぶして浪費してしまうものです。

百万円の楽(幸運)があったとしたら、過去に貯めた百万円分の善業を使ってしまったと言うことです。

 

当然、業も無限では無いので、使い切ったら終わりです。

その時、今の楽(幸運)は終了して没落してしまいます。

 

家業でも国でも、苦労を知らない放蕩のボンボンが、贅沢三昧をして没落してしまうのはこれです。

 

ちなみに、面白いことに同じ浪費のボンボンでも、人が良くて、困ってる人間にホイホイ金を与えて、騙されまくって没落してしまうというケースがあります。

この場合は、無意識に先祖(前世)のカルマを自分で、無意識に解消してしまっているのです。

要するに、先祖(前世)で、悪どい方法で人様から奪った金なので、本来は、悲惨な方法で回収されるのですが、本能で危機を察知し、自分から他人を助ける形で放蕩しているのです。

 

まあ、逆を言えば、お金の苦労を知らないからホイホイ人にあげてしまうとも言えるのですが・・・。

少なくとも、苦労を知っている一代目は生涯、倹約を貫き通す人も多いのです。

もちろん、貧乏時代のストレスから放蕩する人もいますが・・・。

 

そのため、賢い人間は、徳を貯めるために、わざと粗衣粗食で、贅沢をしないでカルマを浪費しないという行動パターンを取ります。

これを、もう一歩進めると、今度は、善業カルマを浪費しないだけではなく、悪業カルマを浪費させるため、わざと苦しみを積極的に取ろうとする過激派もいます。

これが、苦行というやつです。

苦行で自分のカルマを浄化するというロジックで、インド人のロジックです。

釈迦も、瞑想で悟る前は、よく今までのインドの宗教の伝統で、苦行を実施していたことは有名です。

 

理論上は、こういう苦行や、貧病争のろくでもない人生の苦しみはそのまま苦行と同じで過去のカルマの消費と言う考えになります。

これが、社会システム全体に行き渡ると、カースト制度のようなろくでもないクソシステムになることは、今まで何度か指摘しました。

 

 

②は普通に嫉妬(ルサンチマン)です。

プロレタリアートブルジョアに、革命を起こします。

人間、誰だって、自分が苦しいのに、のうのうと楽している人間がいたらムカつくものです。

もちろん、資本主義において搾取の悪徳企業や政府がいたら、人民の解放をするのは、良いことですので一概に否定は出来ません。

ソ連がいた時代には、労働運動のバックが安定していて、西側先進国の資本家も労働者を優遇していた時代がありました。

 

しかし、個人レベルで、自分が苦しいから、楽している関係ない人間や子孫を不幸にして同じ目に会わせてやるなどの境地に至れば、もはや外道です。

ちなみに、これを悪霊と言います(笑

 

赤の他人や子孫に祟るろくでもない霊ですので、一刻も早く成仏させる必要があります。

まあ、こういう霊に祟られるということは、そういう祟られるカルマを持っているということですので、自分自身もよくよく神仏に懺悔して、積善改過する必要があるのですが・・・。

 

 

 

 

 

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