災異説におけるコロナ論 第六話

 

 災異説のメカニズムは至極シンプルな理に基づいている。

 為政者が、悪政をする。
 →天が為政者を改めさせるために、警告を打つことを決定。
 →五行的に自然界のバランスが崩させる
 →天変地異や奇矯な出来事を起こす。

 上記のような、単純な因果応報のマクロ版である。
 逆に言えば、天変地異があるのは、為政者の徳が足りないから。
 単純極まりない、ロジックでもある。

 我々が良く知る、仏教の因果応報と、基本的なシステムは何ら変わりは無い。
 ※そして、これは同時に、仏教の因果応報理論の弊害も内包しているということでもあるが、今は置く。

 だが、当然、このような思想は、身分制の時代では、体制批判に等しいため、危険思想ではある。
 なにせ、権力者に、あなたの治世は、天道人道に背いてますよと、諫言することに等しい。
 董仲舒が、出世出来なかった(あやうく死罪になりかけた)のも、これが原因であった。

 しかし、その後も、連綿と、この災異説は生き残り、儒教の伝播(仏教含む)を通じて、
 徳が足りない為政者のせいで、天変地異が起こるという発想は、アジア人の認識に、今に至るまで影響を与えている。
 
 この災異説。
 当然、中華文明圏の周辺諸国である、日本にも伝来した。

 しかし、日本は元々、易姓革命を唱える孟子を、輸入禁止にまでしていた国である。
 為政者である天皇の徳を掣肘する災異説は、異端中の異端の教えではあるが、先進国の大陸から文明を輸入するメリットには勝てなかったようだ。

 元々、政治の道徳概念などなく、道教や仏教を、怨霊(自分たちが政権闘争で殺した相手)対策程度にしか導入していなかった大和朝廷も、時代が経るに従って、善政という概念を理解し始めた。

 この思想を元に儀式を行っていたのが、大和朝廷の公務員であった陰陽師である。
 基本、彼らの仕事は暦の作成であるが、国家運営に携わる公務員として、この災異説の政策提案も兼ねていたことはあまり知られていない。

 ちなみに、フィクションにおける妖怪退治は、当時は坊主の仕事であり、彼らの仕事ではない(実際はなんやかんやと行っていたが)。安倍晴明のライバルの芦屋道満が法師(仏教)だったのも、お役所仕事をする官僚の安倍晴明と対比していた構図である。
 
 陰陽道は朝廷の省庁であり、震災や疫病、おかしな怪異が出た時に、陰陽師六壬の占術を用いて占い、かつ災異説で五行的なアドバイスを朝廷に報告する地味な仕事である。 無論、下級官僚である陰陽師には、政策の決定権は存在しないため、あくまで報告提出である。 

 この災異説が、政権へのエラーチェックシステムとして機能した。
 つまり、具体的にこのような天災地災があれば、五行的に、このような為政の問題理由があり、こうすれば良いという対応策まであるということである。

 当時の大和朝廷は、天変地異があるたびに、為政者を懺悔させ、恩赦を出すと共に、坊主に祈祷させた。

 ちなみに、基本、国家の公式の国教は、神道と仏教が、メインである。平安時代の前の奈良時代には、全国に疫病が流行した際に、大仏を建立したことは、その例である。日本における宗教ランクは、仏教→神道道教であった。

 具体的な対策・政策案としての官僚のタスクとして、暦から天の理を地に反映させ、かつ災異説的な対策を提案するのが、陰陽師の仕事の一つであった。

 今回のコロナのような疫病は、基本、疫鬼などの魑魅魍魎の仕業と見て、それらを祓う儀式をするのは、仏教、神道陰陽道に限らず、同じである。

 しかし、その真の原因は、魑魅魍魎ではない。魑魅魍魎を祓って終わりではない。

 疫病自体の原因は、因果応報によるものであり、為政者の悪政であると考えるのが災異説である。

 そのことを、プロである、元陰陽師の春日が知らぬはずはない。
 それを見越して、川中島は挑発したのだ。

 

 

 

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 災異説におけるコロナ論 まとめ

 

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