災異説におけるコロナ論 第七話
「して、今の疫病が、災異説に当て嵌まると、申すか?」
「はい、原因の無い事象は存在しません。釈尊の因果応報を引き合いに出すまでもなく、物事には必ず原因と結果があります。それを五行で解析するのが陰陽道のはず」
「笑止。陰陽道は今の用語のような、武道芸道の『道』ではない。古代の官庁名に過ぎん。儒学を教える明経道、律令を教える明法道。それらと同じような命名規則に過ぎん」
「はい。しかし、朝廷に報告する怪異の解析、災異の解析も、陰陽道の仕事のはずです」
「・・・・・・」
陰陽道と言うと、現代人は、まるで合気道や空手道のような、何かしらの体系システムを思い浮かべる。
陰陽という学習段階のある、一つの術数体系があるという認識である。
しかし、陰陽道の道というのは、現代日本人が考える、神道や仏道と同じような意味ではない。
あまり知られていないが、陰陽道というのは、ただの、省庁名なのである。
春日が茶化したのは話を反らすためであり、単なるジャブに過ぎない。
「ならば聞く。貴殿は、この事象をどう捉える?」
「当然、発生源の、中共の悪政の結果であると思います」
「中共に、どんな悪があるというのか?」
「強いて言うなら、民衆を弾圧する強権的な暴力主義、軍国主義であると思われます。スペイン風邪が蔓延したのも、第一次世界大戦のような暴力が吹き荒れていた時代でした」
災異説も突き詰めて言えば、仏教の因果応報と同じである。
マイナーな災異説に比較して、因果応報の思想は、日本人なら誰でも知っている宗教道徳訓である。
善因楽果、悪因苦果。
善いことをすれば、幸運が帰ってくる。悪いことをすれば不運が帰ってくる。
例え、現世で果報が来なくても、来世でその応報が報われる。死後、閻魔の裁きに会い、地獄や天国に行くのは、日本人の原風景として、漠然と我々は認識している。
宗教心が無いと言われる、現代日本人でも、この感覚は抜き難く残っている。
お天道様が見てるという、日本人の心象風景を公式化した思想と言えよう。
しかし、このような死後の観念は、言語化としては、世界宗教である仏教によって日本に伝来された。
死後の世界と応報そのものは、他の文明文化と同じく、人類が後天的に構築したものである。
それは、今では当たり前の宗教道徳ではある因果応報が、自然にあるものではないことを意味する。
人間が、高度な社会を形成するまでは、不要だった「科学法則」だからだ。
古代において、理不尽がまかり通った、民主主義や人権の無い時代において、先進国であったインドが、人間の公平観念を、無矛盾無く説明するために、作られたロジックでもある。
来世や前世という、立証不可能な仮想世界を構築することで、現世の理不尽を解消したアイデアである。
特に、宗教が人間の歴史に登場するに当たり、正義と慈愛の神の力を立証するための、弁神論としても活躍する。
現世だけを見れば、悪人は栄え、善人が報われないのが当然だからだ。
神の存在を前提にすれば、このような理不尽と教義の矛盾は解消し難い。
神が存在するならば、なぜ、このような不公平を放任するのか?という疑問は宗教の発生とともにあった。
しかし、前世と来世の時間軸の延長を加味すれば、神の収支の決算はバランスする。
地獄や天国という舞台装置を設定すれば、前世、現世、来世の業(カルマ)は無矛盾なく決済するのだ。
現世でのうのうと生きていた悪人が、死後、地獄に行き、報われない善人が、死後、天国に行く。
これにより、神の正義の天秤は、正統性を持つことが出来るのだ。
もちろん、個人レベルでも、善き人間学として、使われてきた。
先祖や前世の生まれ持った業の解消に、善行が推奨するのは坊主だけの専管事項ではない。
せっせと陰徳を積むことで、開運したり寿命を伸ばすという、小賢しい世渡り法は、神道、儒教、道教問わず、王族貴族から庶民に至るまで、時代時代の流行りだったのである。
中国の明の時代には、善行悪行を、点数化する善書が大ブームを巻き起こし、日本にもその書籍が伝わってきている。
※日本語でも読める古典としては、「陰騭録」などが有名である。
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災異説におけるコロナ論 まとめ
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